ナチュラルオシャレを発信する美容師のYoshiです。
皆さんは何かに依存してしまうこと、ありますか?
僕はあります。
酒・タバコ・ギャンブル…とか、数百円で手に入る快楽なんて、カワイイもの。
…ちなみに、こういうブログメディアはオーバーグラウンドなので、あまりモラルに触れる事は書けないです。
なので、僕がどうやって依存体質から脱却したかを、書ける範囲のエピソードで書きますw
※また情報ソースはあくまで僕個人の主観です。ご理解ください。
まず前提として「なにかに頼る」のは、レベルは違えど「誰でもしてる」ってこと。例えば……
- あぁ癒やされたい ⇒ 女性に頼る
- あぁ〜ストレス溜まった ⇒ 酒に頼る
- あぁ気分変えたい ⇒ 買い物に行く …など
日常のこと、当然のことですよね。
では、コレならどうでしょう。
- 彼女(妻)に黙って○俗通いや(浮気)を止めれない
- 飲みたくないのに酒を飲む
- 買い物自体が目的になり、いらないモノでも買う
- マズいのにタバコを吸い続ける
こうなると、あれ?ってなってくる。
つまり自分主導で、「頼る」はずが、いつの間にか相手主導で「頼らないとやってけなく」なってませんか?立場、こっちの方が下になってません??
いかがででしょうか。真実はご自分しか知り得ません……。
もしかしてオレ、「依存」してんのか?…って思ったら、読み進めてください(._.)
依存体質を抜け出すために知る3つの考え方
まず敵を倒すには敵を知りましょう。
- 依存には「振り幅」がある
- 依存は「楽しい事をずっと続けてたい」状態
- 依存するのは「弱いから」じゃない
1、依存には「振り幅」がある
何かで読んだんですけど、メンタルの状態ってシーソーのようなものなんだって。
図解
快に傾いた後は、均衡を保つために不快にも傾く。
それも、強く早く快に傾くと、当然不快に跳ね返ってくるのも強く、そして早い。
日常なら、嫌なことがあったらいい事がある、酒を飲んだら後で疲れるとか。
道徳的な意味ではなく、これは人間ってのはそうなんだ!って思っておく必要がある。
要は、酒を飲んでる時はハイになるけど、なったぶんキッチリ疲れちゃうってことです。
で、そこで終わるのではなく、より強く深い快感を得ようと繰り返すと……、
依存ですわな。
2、依存は「楽しい事をずっと続けてたい」状態
周知の通り、楽しいという感覚が永遠に続くことはない。
しかし、依存状態になると、終わらせたくなくなる。
駅で別れ際にイチャつくカップルはきっと、一日を終わらせたくないんだね。
あれは依存じゃないけど、軽度の依存かもwけどまた次会う時に笑顔で会えるなら、軽度の依存は正解だろう。
要は、気持ちの良い状態がずっと続かないと、頭でわかってはいる。
終われば虚無感に襲われることも。しかし虚無感すら恋しくなってくる。
「心の振り幅に」酔ってしまう。
快感が強ければ強いほど、虚無感も強い。
3、依存するのは「弱いから」じゃない
勘違いをしてはならないのが、依存してしまうのは「メンタルが弱い」からではない。
依存の「振り幅」を理解していないと、無意識にまた快感を求めてしまう。
頭でわかっていても、どうしても心が着いていかない時もある。
やることやっといて、自己嫌悪に陥ったり、最悪感を感じたりするのは都合が良すぎる。
それを「弱いから」だと捉えず、正面から向き合う必要があります。
抜け出すためにやったこと、方法
様々な依存がありますが、僕は酒・タバコ・その他(ご想像で…)です。
なので皆さんとは違うかもしれませんが、ご自身に当てはめてみてください。例えば僕の場合はこんなカンジです。
- 酒 → ジュース、コーヒーに変えてみた
- タバコ → 納得いくまで吸った
- その他 → 納得いくまでやってみた
酒はやめたいワケではなかったんですが、休日の朝から飲むのはやめたかった。
そこでコーヒーやジュースに変えたところ、全然いいじゃん!って感じ。
置き換えです。
納得いくまでって、いつまでも納得できなかったら抜け出せれませんよ。カタをつけるのは、あくまで自分です。
納得いくまでやってみた?
納得いくまでやるのも一理あるかというと、「快楽の振り幅」を知れるからです。
納得いくまでやると身を滅ぼすことだってあります。
特にギャンブルや、健康を害するものはダメです。なので僕がやったことを紹介するだけにします。
納得するまでやってもいいかな?というのは以下の方のみ。
●依存体質を「抜け出したい」人
●法律には触れないこと
●お金、健康、人に害が及ばないこと
まとめ:何かへの依存は「幻想」なり
依存してる自分に気づいても、なかなか抜けれない、やめれないと思っていませんか?
僕はそうでした。
しかし、依存という快楽をやめてみて思うのは、そもそも快楽なんて存在しない!
ということ。
必ず「振り幅」によって多少の苦痛は伴うし、苦痛に耐えれずまた快楽に走ると
より強く苦痛を伴う。
いざ冷静に離れて見ると、やはり快楽はプラマイゼロなことがわかる。
以前、人生の先輩に「何を楽しみに生きていますか?」と聞いたことがあります。
するとこう答えてくれた。
人生に『楽しみや快楽』を求めていちゃだめだよ。そんなものは最初からない。
聞いた時は「うわっ、つまらない人生…」とかって思いましたw
けど今は何となくわかる。
快が大きくなくとも、不快も少なく、安定したメンタルで過ごせる事。
それが何よりも大切、という事が先輩は言いたかったのだろうと思います。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。